あれからもう4年... [ぽちの休日(天気とかニュース)]
2011年(平成23年)3月11日(金)午後2時46分。
三陸沖(牡鹿半島の東南東約130km付近)を震源とする「東北地方太平洋沖地震」が発生。
我が国観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震により宮城県北部で震度7を観測。
東日本の広範囲が強い揺れに見舞われました。
この地震による津波は東日本の太平洋沿岸を中心に、北海道から沖縄県までの日本海側を含む広範囲に押し寄せ、
特に東北地方から関東地方の太平洋沿岸では、大津波が襲来し未曾有の被害をもたらしました。
地震と津波の影響で福島原発は大打撃を受け、チェルノブイリの再来かと言われる程の世界でも類を見ない原子力災害に発展。
この巨大地震と原子力発電所事故の複合災害である「東日本大震災」は非常に多くの犠牲者が出ました。
さらに多くの住民が避難生活を余儀なくされるなど、未曾有の被害をもたらした大震災として歴史にその名を刻むこととなりました。
この写真は震災の約2ヶ月後にぽちが岩手へ降り立ったときの写真です。
我が国観測史上最大の巨大地震・大津波被害が出た東日本大震災からもう4年ですか。
4年という月日が長いのか短いのか...『まだ4年』か『もう4年』と感じるかですね。
阪神淡路大震災では、岡山もかなり揺れましたので記憶に残ってますが、東北地方太平洋沖地震は遠くの地であったため、体感はありませんでした。
でも、TVで見たあの光景は今でも忘れられません。
津波に飲み込まれる町、流される家、車.... TVを見てるだけで辛くなりましたね。
東京より北に行ったことの無かったぽちにとっては、東北地方って未知の世界でした。
すごい災害が起きているのに、なぜか遠くの出来事のようにも思えました。
でも今のぽちは、4年前のぽちと違い、東北を応援する気持ちは強いですよ。
2011年3月22日 ぽちに災害派遣として岩手行きの内示がでました。
震災直後から災害派遣があることを予想していたのでボスに、その話が来たら俺を出してくれ。と言っていたのです。
TVで見たあの光景、見てるだけでなく何かの役に立てれば...
余震だとか、いろいろありまして災害派遣が延期になったりで、結局5月1日より岩手へ入りました。
それから、もう4年かぁ〜って思うと、ぽちの感覚では早いなぁって思うのですが、現地の状況を聞いたりすると、まだ4年か...と両方の感覚ですね。
岩手行き関連記事:岩手へ行ってくるよ...
そんな、岩手に行った時に買った、1冊の本があります。
震災後に1ヶ月も経たずして急遽発刊された記録誌『巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録』です。
震災から4年かぁ〜って、この本を開いたのですが....
なんだか、当時のTVで見てた風景を思い出します。
TVでも見た、真っ黒い津波がすごく怖かったですね。
なんて言えばいいのだろう...言い方ひとつで誤解を生むかもしれないけども...
この未曾有の災害を忘れちゃいけない。と思うのですね。
それは、ぶり返すとか古傷を...とか、そんな意味じゃなくて、人の力が全く歯が立たなかった大災害、万全と言われ信じられてきたものが文字通り一瞬にして吹き飛んだ原発など。
その出来事を元に危機管理、災害管理をしていかなきゃ、と感じるわけです。
って、どんなコメントを書いても、所詮は当事者では無い私たち...実際に被災された方々のことを思うと....
でも、岩手に災害派遣に行っていた時の岩手のボスの言葉。
『東北の人間は強いんだっぺ。でも今は、日本のみんなが応援してくれてる。だから負けねぇっぺ』
(ぽちはこの言葉を聞いて、泣きそうになりましたよ...)
応援する気持ち。さらに一歩踏み出して東北のためになにかしようと行動する気持ちが、きっとエールになるんじゃないでしょうか。
1日も早い復興を願ってやみません。
三陸沖(牡鹿半島の東南東約130km付近)を震源とする「東北地方太平洋沖地震」が発生。
我が国観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震により宮城県北部で震度7を観測。
東日本の広範囲が強い揺れに見舞われました。
この地震による津波は東日本の太平洋沿岸を中心に、北海道から沖縄県までの日本海側を含む広範囲に押し寄せ、
特に東北地方から関東地方の太平洋沿岸では、大津波が襲来し未曾有の被害をもたらしました。
地震と津波の影響で福島原発は大打撃を受け、チェルノブイリの再来かと言われる程の世界でも類を見ない原子力災害に発展。
この巨大地震と原子力発電所事故の複合災害である「東日本大震災」は非常に多くの犠牲者が出ました。
さらに多くの住民が避難生活を余儀なくされるなど、未曾有の被害をもたらした大震災として歴史にその名を刻むこととなりました。
この写真は震災の約2ヶ月後にぽちが岩手へ降り立ったときの写真です。
我が国観測史上最大の巨大地震・大津波被害が出た東日本大震災からもう4年ですか。
4年という月日が長いのか短いのか...『まだ4年』か『もう4年』と感じるかですね。
阪神淡路大震災では、岡山もかなり揺れましたので記憶に残ってますが、東北地方太平洋沖地震は遠くの地であったため、体感はありませんでした。
でも、TVで見たあの光景は今でも忘れられません。
津波に飲み込まれる町、流される家、車.... TVを見てるだけで辛くなりましたね。
東京より北に行ったことの無かったぽちにとっては、東北地方って未知の世界でした。
すごい災害が起きているのに、なぜか遠くの出来事のようにも思えました。
でも今のぽちは、4年前のぽちと違い、東北を応援する気持ちは強いですよ。
2011年3月22日 ぽちに災害派遣として岩手行きの内示がでました。
震災直後から災害派遣があることを予想していたのでボスに、その話が来たら俺を出してくれ。と言っていたのです。
TVで見たあの光景、見てるだけでなく何かの役に立てれば...
余震だとか、いろいろありまして災害派遣が延期になったりで、結局5月1日より岩手へ入りました。
それから、もう4年かぁ〜って思うと、ぽちの感覚では早いなぁって思うのですが、現地の状況を聞いたりすると、まだ4年か...と両方の感覚ですね。
岩手行き関連記事:岩手へ行ってくるよ...
そんな、岩手に行った時に買った、1冊の本があります。
震災後に1ヶ月も経たずして急遽発刊された記録誌『巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録』です。
震災から4年かぁ〜って、この本を開いたのですが....
なんだか、当時のTVで見てた風景を思い出します。
TVでも見た、真っ黒い津波がすごく怖かったですね。
なんて言えばいいのだろう...言い方ひとつで誤解を生むかもしれないけども...
この未曾有の災害を忘れちゃいけない。と思うのですね。
それは、ぶり返すとか古傷を...とか、そんな意味じゃなくて、人の力が全く歯が立たなかった大災害、万全と言われ信じられてきたものが文字通り一瞬にして吹き飛んだ原発など。
その出来事を元に危機管理、災害管理をしていかなきゃ、と感じるわけです。
って、どんなコメントを書いても、所詮は当事者では無い私たち...実際に被災された方々のことを思うと....
でも、岩手に災害派遣に行っていた時の岩手のボスの言葉。
『東北の人間は強いんだっぺ。でも今は、日本のみんなが応援してくれてる。だから負けねぇっぺ』
(ぽちはこの言葉を聞いて、泣きそうになりましたよ...)
応援する気持ち。さらに一歩踏み出して東北のためになにかしようと行動する気持ちが、きっとエールになるんじゃないでしょうか。
1日も早い復興を願ってやみません。
2015-03-11 23:59
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コメント(2)
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私も一応被災者なのであの日の事は忘れようもありません
津波は来なかったけど、停電や断水は初体験でした
by 月宮水瀬 (2015-03-15 22:35)
水瀬さん、nice!&コメありがとうございます!
実際に被災されたのですね…文字通りの未曾有の大災害…大変だったと思います。
『忘れようもありません』って言葉がとっても心にキマす…
私も短い期間でしたが岩手に行きまして、少しくらいは現地の大変さを感じてこれたかと思うのですが、それでも当日の凄さを体感してる訳でわないですから…
by ぽち (2015-03-16 21:47)